『走ることについて語るときに僕の語ること』を読むことになった経緯
こんにちは!
みなさん、身体を動かすことは好きですか?
身体を動かすことって正直面倒くさいですよね!
動かさなくていいなら、1ミリも動かしたくないのは私だけでしょうか?
そして身体を動かしていないと、動かすことがさらに億劫になって、どんどん身体を動かさなくなる、という悪循環に陥ってしまいます。
ところで、話は変わりますが、『村上春樹さん』をご存知でしょうか?
そうです、毎年ノーベル文学賞獲る獲る騒ぎが恒例の、、、笑
本人は迷惑しているそうですが。笑
私が書いた他の記事を読んでもらえばわかるように、私は『村上春樹』の大ファンで、小説は(もれがなければ多分)全て読んでいます。
もれているとすれば短編小説で、少なくとも、中編・長編小説は全部読んでいます。
村上春樹の本をあまり読まない人は、村上春樹=小説家の凄い人、というイメージをお持ちだと思いますが、実はエッセイも沢山出版しており、そして凄く面白いんです。
小説家の中には、小説は面白いけど、エッセイはそんなに(少なくとも小説程は)面白くない、という方は多いように思います。
小説とエッセイは、文章を「書く」ということが共通していますが、書き方や書く内容は全然違いますので、小説が面白ければ、エッセイも面白いとは限らないですよね。
同じ「走る」にしても、マラソンの選手が、短距離も速くは走れるとは限らないように。
小説とエッセイも、書くために使う筋肉が違うのかもしれませんね。
その全く違った種目と言っても過言ではない両者を、どちらも面白く書くことができるのが、『村上春樹』という作家なんです!(ドヤ)
彼の小説が苦手という人の中には、「小説はよくわからないけど、エッセイは面白い」と言って、エッセイは読んでいるという人もいます。
私も『村上春樹』のエッセイを全てではありませんが、楽しく読ませてもらっており、もちろん読破しようと思っています。
『村上春樹』が書いた本は、小説でもエッセイでも翻訳した本でも全て読んでやるという程の村上ファンの私ですが、
彼が書いた本の中で、どうしても読む気にならなかった(読むとしても一番最後になるだろうと思っていた)本が、1冊あります。
それは、タイトルでもあるように『走ることについて語るときに僕の語ること』という本です。
なぜ、この本を全然読む気にならなかったのかと言うと、私自身「身体を動かすことが好きではない」からです。
冒頭でも書いたように、「動かさなくていいなら、1ミリも動かしたくない」くらいです。
しかし、そんな私があることをきっかけ(仕事の付き合い)に、マラソン大会(5km)に出ることになりましたヾ(≧▽≦)ノばんざーい(最悪)
走ることが(半強制的に)決まって、「はて、ちゃんと身体を動かしたのはいつだっけか」と記憶を思い返してみると、中学生の時の部活の時以来、つまり15歳から10年間運動をしていないことに気がつきました。
なぜ、高校、大学では運動をしなかったのかと言うと、「先輩の命令はゼッタイ」という部活の体制が嫌だったからです。
ざっくり言うと、先輩の言うことなんか聞きたくなかったからです。
人は生まれながらに平等なはずで、人間関係に上も下も偉いも偉くないもないはずなのに、1年やちょっと先に生まれたからっていばりちらすなんてイミワカラナイ、ということで中学以来部活に入ることはなく、それに伴って運動をしなくなってしまいました。笑
あるいは、中学まで、週5以上で運動をしていたこともあって、(強制的に)身体を動かすことに飽きてしまったのかもしれません。
話を戻して、中学以来の運動、しかもマラソン
5kmとは言えども、10年間運動をしていなかった私からすれば、「完走できるの?」と思わずにはいられませんでした。
身体動かすのは面倒だし、「ぶっつけ本番でいっか」ともならず、とりあえず、今自分がどれだけ走れるのか(走れないのか)を知るために、近くにあるジムで走ってみることにしました。
そこのジムにあるランニングマシーンを使って走ってみました。
その機械を初めて使ったのですが、すごいですね!
走るスピードを0.1km/h刻みで設定することができるんですね!
中学の時は5kmを走れていましたが、今も走れるのか試すのに、まずは10km/hで30分走ることにしました。
同じ5kmを走るとしても、もっとスピードを落として長い時間走ることもできますが、走ることにそれほど時間をかけたくなくて、1日の貴重な時間のうちランニングに費やすのは、30分がギリ許容範囲内だったので、10km/hで走りました。
結果、意外なことに息が切れることもなく、普通に走ることができました。
ビックリしたのは汗の量です!
私は、それほど汗っかきではないのですが、30分走ったあとの汗の量が異常でした(;^ω^)
こんなに汗をかけるんだ、と自分でもちょっと引きました。
久しぶりでも走れたのは、中学まで運動をしていて、その貯金?があったおかげか、10km/hという速さがそれほど速くないからなのかはわかりませんが、とりあえず完走はできることがわかり安心しました。
次の日に、筋肉痛と10年ぶりの再会を果たすとは、この時は知る由もありませんでした( ;∀;)
そんなこんなで走るようになり、「そう言えば、春樹(友達か!)が走ることについて何か語っていたな」と思い出し、最後まで読まないと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』というエッセイを、以上のような経緯で読んでみることにしました。
『走ることについて語るときに僕の語ること』内容紹介
前置が長くなりすぎましたが、内容を紹介していきたいと思います。
本書は、2005~2006年に著者『村上春樹』がマラソンやトライアスロンの大会に出場し、その時の情景や心情などが書かれています。
また、なぜ体力を必要としない(ように思われる)小説家が走るのか、『村上春樹』が走ることになったきっかけや、走ることが小説にどのような影響を与えているかなど、ライターとランナーの不思議な関係について、『村上春樹』ならではの視点で書かれています。
私は、走ることはおろか、身体を動かしたくもない人間だったので、そんな人が「走ること」について語った本を読んだとしても、よくわからないのではないかと思って敬遠していました。
しかし、それは大きな間違いであると、読んですぐに気がつきました( ゚Д゚)
よく考えてみてください!
あの『村上春樹』ですよ!
文章のうまい、何を書いても面白い、書いたものが全て名言になる(褒めすぎ?笑)あの『村上春樹』が書いた文章が、「走ること」という自分にとって全く興味のない内容であったとしても、面白くないなんてことがありますか?
いえ、ありません!(くどい?笑)
私も読む前は、いくら私が『村上春樹』が書いた文章が好きだとしても、さすがに「走ること」について書かれた本は、楽しめないのではないかと思っていました。
しかし、それが杞憂に終わることに気づくまでに、時間はかかりませんでした。
『村上春樹』が書いた本で、特定のテーマを持たないエッセイは沢山ありますが、「走ること」というテーマがあり、その1つのテーマを軸に自分自身のことを語っている本は、今までにはありませんでした。
なので、本書は、「走ること」を通して、今までとは違った角度から『村上春樹』を知ることができますし、また、『村上春樹』の小説が好きではない人も、健康的な小説家という稀有な人種の存在を知ることができます。
また、こんなに面白いエッセイがあるとは、と驚かされることでしょう。
村上春樹の名言
ここまで『村上春樹』の書く文章が面白いと言ってしまった手前、具体例を紹介しないのはフェアではないと思うので、本書で私が気に入った(名言的な)ものを紹介していきたいと思います(*´▽`*)
沈黙の時間を確保すること
一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。
だから一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生にとって重要な意味を持つ作業になった。
少なくとも走っているあいだは誰とも話さなくていいし、誰の話を聞かなくてもいい。
ただまわりの風景を眺め、自分自身を見つめていればいいのだ。
それはなにものにも換えがたい貴重なひとときだった。 ー本書p.33
家族や仕事での人間関係に疲れて、一人になりたいと思うことって誰にでもありますよね。
話しかけられるのも、話すことにも疲れることってありますよね。
それは、作家である『村上春樹』でも同様なようです。
小説家は、仕事の性質上、一人になることが多いから、仕事以外では誰かとコミュニケーションをとりたいのかと思っていたので、少し意外でした。
そんな孤独を愛する『村上春樹』が、実は学生の時に結婚しているというのを知った時は腰を抜かしました。
「え?春樹、結婚してたの?ウソでしょ?なんで?」
ってなりました。
今でも、『村上春樹』が結婚しているという事実をなかなか受け入れられてはいません。
子どもがいないというのはすごく納得できますが。
でも、『村上春樹』に子どもがいたらどんな子どもになっていたのか、小説家を目指すのか、個人的にすごく興味があります。
子どもがいれば、小説が今とは違ったものになっていたでしょうね。
これは、 ifの世界の話なので、想像しかできないし、想像しても意味は全くないんですけど。
話を戻します。
一人の時間を得るために走るというのは、少し理解ができます。
走っている時は、全くの一人なので(手をつないでくれる人、背中を押してくれる人がいれば別ですが笑)、孤独な作業です。
孤独であるがために、自分自身と向き合うことができます。
私は自分が走ることになる前は、走っている人は、走っているときに何を考えているのだろうと思っていました。
実際に走ってみると、忙しなく動いている身体に反比例して、頭の中はすごくスッキリしていきます。
走っている時は、嫌なこと・ネガティブなことが頭から抜けていき、脳が徐々にクリアな状態になることを感じました。
走り続けると身体は疲れますが、心は軽くなり、ポジティブな事が頭に浮かび、自分の生を実感し、肯定できるようになります。(大袈裟?笑)
『村上春樹』の言う「自分自身をみつめる」というのは、このようなことなのではないかと思いました。
走ることの大きな利点
走ることにはいくつかの大きな利点があった。
まずだいいちに仲間や相手を必要としない。
特別な道具や装備も不要だ。
特別な場所まで足を運ばなくてもいい。
ランニングに適したシューズがあり、まずまずの道路があれば、気が向いたときに好きなだけ走ることができる。-本書p.57
ここでは、走ることの利点について紹介しています。
走ることは、テニスやゴルフのように、相手や大層な道具を用意する必要がないので、いつでも、誰にでもできますね。
何事も始める時のハードルが低いことに越したことはありませんね。
学校について
学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、
「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。-本書p.72
これを見た時は、「うまい!」の一言でした。
学校嫌いの 『村上春樹』ならではの格言ですね。
最後に~現代のストレス社会を生きるのに必要なこと~
現代の人たち(日本人は特に)頭を使うことがほとんどで、身体を動かす機会がほぼ全くないように思います。
パソコンの普及に伴って、デスクワークが主流になっており、身体を動かさず、頭ばかりを使うと、心と身体のバランスが悪くなります。
心と身体は密接に関わりあっているので、どちらか片方でも悪くなると、もう一方も悪くなってしまいます。
健康でいるためには、心と身体の両方のケアが必要です。
適度なストレスは心に良い影響を与えることと同様に、運動などで、身体にも適度な刺激を与える必要があります。
朝30分の運動は、抗鬱剤一本投与するのと同じくらいのストレス軽減の効果があるようです。
いきなりランニングだとハードルが高いと思うので、まずはウォーキングなどの軽い運動を習慣づけることができれば、心も身体も健康になり、多少のストレスには負けなくなることでしょう。
心と身体の健康を保つことが、現代のストレス社会を生きる上で大事なことだと思います。
なぜか、最後の内容が物凄く真面目になってしまって、自分でも、走り終わったあとの汗の量と同じくらい引いています。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント
村上春樹氏の生き方って独創的で憧れます。
くるくる(id:mokatrip)さん
小説も生き方も独創的ですよね(*^-^*)
村上春樹のような人生を1度は送ってみたいものです(*´▽`*)