村上春樹がオウム死刑執行について言及
2018年7月29日に、村上春樹が毎日新聞に寄稿したオウム死刑執行に関する『胸の鈍いおもり』という題名の記事が、毎日新聞に掲載されました。
村上春樹は、『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』などの著作があることからオウムに対して前から関心があったことが分かります。
読売新聞ではなく、毎日新聞に寄稿したのも村上春樹らしいですね( *´艸`)
今回は、村上春樹が毎日新聞に寄稿した記事の内容について
紹介していきたいと思います。
村上春樹は死刑制度に反対!?
一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。
人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。
しかし、人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的にことなってくるはずだ。-2018年7月29日発行 毎日新聞より
村上春樹が死刑制度に反対であるということを、この記事を読んで初めて知りました。
村上春樹が死刑制度に賛成であるはずがないとは思っていませんでしたが、ハッキリと断言するのは珍しいです(*´▽`*)
ファンとしては貴重な情報です( *´艸`)
そして、相変わらずではありますが、文章がメチャクチャしっかりしてますね(*^-^*)
本当に気を使って文章を書いていることがわかりますね♬
オウムに関しては死刑制度に反対ではない!?
しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、
丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられてた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、
「私は死刑制度には反対です」
とは、少なくともこの件に関しては、簡単に公言できないでいる-2018年7月29日発行 毎日新聞より
先程の引用で「一般的なことを言えば」譲歩している理由がわかりましたね。
一般的な事件における死刑執行に関しては反対の立場をとっているが、
オウムの件に関しては、「アンダーグラウンド」という本を書く上で、オウムの被害者や被害者遺族に対してインタビューを行ったことで、
その人たちを差し置いて、「死刑制度に反対」とは言えないということですね。
ここで重要なのは、「反対」とは言えないのであって、「賛成」であるとは言っていないということですね。
一語一語、言葉の使い方には細心の注意を払っているということがわかりますね。
村上春樹をマネする訳ではありませんが、私も基本的には死刑制度には反対です。
私が死刑制度に反対する理由を以前に書いたので、興味のある方はこちら↓をご覧ください。
私の場合は、村上春樹と違ってオウムに限らず、どの事件においても被害者の立場を考えると「死刑制度に反対」とは言えません。
オウム死刑執行により危惧されること
ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。
もしそこに「これをこの事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、
あるいはこれを好機ととらえて
死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、
それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。 -2018年7月29日発行 毎日新聞より
村上春樹が今回のオウム死刑執行に関して危惧していることは以下の2つです。
1.「この事件の幕引き」になってしまうこと
2.「死刑という制度がより恒常的なもの」になってしまうこと
1.「この事件の幕引き」になってしまうこと
1つ目の、「この事件の幕引き」になってしまうことに関しては、
以前私が書いた記事、「オウム死刑執行~なぜこのタイミングで執行されたのか~」において、
平成という時代が終わる前に、オウムの事件のケリをつけようという思惑が働いているのではないかと紹介しました。(その記事はこちら↓です)
村上春樹も、今回の死刑執行により、
「はい、オウムの事件はこれで終了」となってはいけないと言っています。
今回寄稿した記事の中で、
「私たちは、オウム関連の事件から学びとらなくてはならない案件がまだたくさんある」
というメッセージを残しています。
死刑により幹部がこの世からいなくなったとしても、まだまだ考えなくてならないことが沢山あり、オウムの事件を忘れてしまってはいけないということですね。
2.「死刑という制度がより恒常的なもの」になってしまうこと
村上春樹は、死刑制度を
「冤罪事件が多数存在しているなど、現在の司法システムが過ちを犯す可能性を技術的に、あるいは原理的に排除できていなく、致死的な危険性を持つ制度」
であると表現しています。
死刑制度は不完全であり、
今回のオウムの死刑執行がきっかけで、多くの人にとって死刑に対する抵抗が少なくなり、より恒常的な制度になってしまうことを危惧しています。
オウム関連の事件だけでなく、死刑制度について考える人が少しでも増えると、
今回の死刑執行が、全くの無意味であったことにはなりませんね。
死刑が執行されたオウムの幹部は「不幸かつ不運」であった
オウムの死刑執行について、
実行犯=死刑
運転手=無期
という暗黙の了解があり、審理を進める上で様々な困難があったにもかかわらず、
今回死刑が執行された13人のうちの一人「木村泰男」の担当裁判官であった木村烈氏の判決に対して、村上春樹は
林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。
判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった。-2018年7月29日発行 毎日新聞より
と、称賛しています。
そして、この記事に、その時の担当裁判官である木村烈氏の判決文の一部が以下のように抜粋されていました。
およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であったと言える。(中略)林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑をもって臨むほかない-2018年7月29日発行 毎日新聞より
記事の中で村上春樹は、木村烈氏の言う「不幸かつ不運」の意味を深く考えなければならないと書いています。
このことは、オウムの件に関しては「死刑制度に反対」とは言えない村上春樹が、
遠まわしに、加害者も被害者的な側面があったということを言いたいのではないかとおもいました。
加害者に同情するようなことは、バッシングの対象にされやすく、また、被害者がいるという事実が存在するため、声を大にして言うことはなかなかできません。
被害者には100%非はありませんが、加害者が100%悪いというわけではないようにおもいます。
加害者を取り巻く環境であったり、遺伝であったり、加害者にとって「不幸かつ不運」であるといえる部分があるのではないかと思います。
以上で、村上春樹が毎日新聞に寄稿した『胸の鈍いおもり』の内容紹介でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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