《著者紹介》
アンネ・フランク
1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女に生まれる。
1933年迫害を逃れ一家はオランダのアムステルダムに移住し、1942年7月、姉マルゴーの召喚を機に一家は隠れ家生活に入る。
ついに1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフツのため15年の生涯をおえた。
1945年2月末から3月はじめと推定される。
1942年6月12日から44年8月1日まで書きつづけられた日記は、永遠の青春の記録として、半世紀以上を経たいまも世界中の人びとの胸をうってやまない。-文春文庫より
こんにちは!
『アンネの日記』読んだことありますか?
『アンネの日記』の存在を知らない人はほとんどいないですよね。
でも、名作あるあると言ってしまえばそれまでですが、知名度の割に読んだことある人って、そんなに多くないんじゃないですか?笑
という私も『アンネの日記』を読み終わったのは最近で、それまで、
「いやー、『アンネの日記』読んだ方がいいよなー、本好きって言ってるのに『アンネの日記』読んでないのは恥ずかしいよなー」
と、自称読者家のプライドが『アンネの日記』を読んでいないことを許せなくて、
そして、自称読者家なのに『アンネの日記』を読んでいないことに、世間に対する後ろめたさもあって、読む決心をしました。笑
《アンネの日記対して暗いイメージを持っていませんか!?》
『アンネの日記』を読むのに、よし読むぞと、決心をしないといけなかったのは、読む前に『アンネの日記』に対して持っていたイメージにあります。
『アンネの日記』を読んでない方でも、『アンネの日記』がどのような本なのかをなんとなく知っている方もいるのではないでしょうか?
たしか、学校の教科書でも紹介されていますよね。
ユダヤ人とアウシュヴィッツという単語を聞くと、映画や本のイメージで、暗い気持ちになったり、心にグサッと刺さるような気持ちになる方がほとんどではないでしょうか?
私も、ユダヤと言えば、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』やノンフィクションの『夜と霧』を思い出し、『アンネの日記』を読み始めるときは、それなりの心構えをしていました。
しかし、実際に読み始めてみると、全然思っていたイメージと違いました!
《『アンネの日記』は 実は 明るかった!?》
暗く鬱々とした文章が羅列されているかと思いきや、アンネの書く文章がすごく明るいんです!
読む前とのギャップがこんなに激しい本は、他には見当たらないです。
生活の辛さや、人間関係のグチも出てきますが、基本的にコミカルに、そしてユーモラスに書かれています。
そして、隠れ家での恋愛のことだったり、性のことだったり、そんなことまで書いて大丈夫なの?と心配になるくらい赤裸々に、アンネの心情や心境が書かれています。
意外じゃないですか?
隠れ家での生活がナチにバレたら終わりという極限状態でも、前向きに、そして、いつか自由になれることを信じ、希望をもって生活していたということが、文章を通してひしひしと伝わってきました。
もし私が、アンネと同じ環境にいたら、そんな明るい文章を書けていないだろうと思います。
現に、アンネよりも遙かに良い環境で生活をしているにも関わらず、ついついしにたいなんていってしまうこともあるぐらいですし・・・
そして、日記を書き始めたのは13歳からですが、その文章が本当に上手いです。
ものの見方や、文章の表現がそこらへんの中学生が書いたものとは、明らかに違います。
《アンネは小説家になりたかった!?》
日記の中でも、「将来は小説家など、文章を書く仕事をしたい」と書いており、もともと文才があったように思います。
犯人は誰かは分かっていませんが、密告さえなければ、アンネは日記だけでなく、作家として小説を残していたに違いありません。
アンネが将来書くはずだった小説が読めないことは非常に残念です。
しかし、日記が破棄されずに残っていたことは、不幸中の幸いだったと思います。
今までも、これからも世界の重要な財産として読み継がれていくでしょう。
まだ読んでいない方、読もうかと迷っている方、明日への希望が持てない方、是非読んでみてください。
この本を読んで、何も感じないなんてことは決してありません。
『アンネの日記』は読んだ方がいいものではなく、一生に一度は必ず読むべきものだと思います。
私は一度読みましたが、いつかもう一度読み返したいと思っています。
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